「自分を知ること」から逃げている若者たち。

2015.10.19パートナー,夫婦,結婚生活

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今週の某週刊誌のタイトルを見て、

これが今の日本の姿かもしれないと危機感を感じました。

「夫婦は憎しみ合う」ために結婚するのではありません。

では、なぜ結婚をするのでしょう。

あなたにとって結婚ってなんですか?

そのあなたの答えを、今の若い人たちに伝えられますか?

 

若者の約4割弱が「恋愛は面倒」だから「恋人はいらない」と答えた、という今年度の内閣府の調査。筆者(42歳)から見たら「信じられない」感覚です。私の年代以上の人なら思い当たると思いますが、若い頃の活動の多くは、どこかで

 

「異性にモテたい」

 

というモチベーションから生まれていませんでしたか?男性なら、「車が欲しい(免許を取りたい)」というモチベーションは、かっこいい車に乗って女の子とデートしたい、というような想いが原動力だったり。

 

それが、今の若い子たちは「面倒」。

「何かするときに相手の思いに合わせなきゃいけないのは面倒」

「仲良くなるまでのプロセスが面倒」

「1人の時間を趣味に使いたいから恋人はいらない」

 

もしかしたら、彼らは異性に限らず、

そもそも他人との関わりが「面倒」なのかもしれません。

 

自分を知ってもらったり、思いを伝えたりすることが面倒なんですね。

拒否される恐怖や、わかってもらえないもどかしさがあるくらいならそんなものはいらない、と逃げているのでしょう。

それよりも、自分の世界で自分の思い通りのものしか見ず、自分だけのために時間を使うことを大事にするという若者たち。だって、1人でも毎日十分楽しめるし。

 

若者たちの間にこういった想いが蔓延しているのには、私たち大人の行動が大きな影響を与えていると思えてなりません。

それが、冒頭にも書いた「憎しみ合う夫婦」です。生まれてから最初に関わる人間関係が「親子」であり、その場は「夫婦」という男女で作られています。

子供はそこで、人とのコミュニケーションを学ぶんですね。

 

憎しみ合うことが前提として投げかけられた週刊誌の表題を見て、

「周りもみんながそうだから、うちもしょうがないか」

「結婚なんてそんなもんだよ」

そんな負のスタンダードを発信しないで欲しいと心から思います。

 

お隣の「犬も食わない」夫婦喧嘩を見て、

「そうそう、うちもそうよ〜」

なんて井戸端でうっぷんを晴らしていた時代とは訳が違います。

今だってそんなトークは必要だと思います。

お隣の困りごとを聞くのは普通に面白い。

(だから週刊誌が売れるんでしょうけどね)

女性は特に共感してコミュニティを作りだすので、こういう話はホントは大事。

笑い話になるくらいの喧嘩はたくさんしたらいい。そしてむしろ、夫婦に喧嘩はあったほうがいいんです。でも、憎しみ合う喧嘩は意味が全く違います。

 

全力でお互いがお互いの人生を一緒に作るという思いを本気で実現しようと思っていたら、

憎しみ合うまえにできることがまだあるはずです。

 

人間関係には必ずなんらかの感情が介在します。好き嫌いはもちろん、

嬉しかったり、悔しかったりする感情は、

対「誰か」とのかかわりがないと気づくことができません。

いわば、他人との関わりの中に、自分の感情が鏡のように映るということ。

自分を知るためには他人とのかかわりが必ず必要です。

中でも一番大きく感情の振れ幅を持つのが「恋愛」だと思います。

 

ちなみに、私は現在の「結婚」自体はただの制度だと思っています。

結婚したって夫婦にはなれません。

夫婦になるためには、「結婚」という制度の枠だけでは解決できない、

二人の関わり方を二人で模索していくことが必要です。

そこにあるのは当然、キラキラした幸せだけでは無いのです。そこには逃げたくなる思いもたくさんあるでしょう。

でも、負の感情はあっていい。

それを受け止めて分かり合うことができるのは人間だけです。

 

こういうことを面倒といって逃げてしまう大人がいるから、子供たち(若者たち)が、

恋愛も結婚も面倒、というのです。まさに子供たちは私たち大人の「鏡」なのです。

この責任を、私達大人がしっかりと受け止めなくてはならないと、心から私は思います。

 

責任は若者たちにあるのではありません。確実に私達大人にあります。

そのことを、「自分事」として捉える大人が増えたら、今の日本が抱える問題は一つずつ解決していくのだと思います。

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